東京マラソン 2024 レポート
2024年3月3日に開催された東京マラソン2024に、sub2:45を目指して挑んできました。当日までの練習等のレースに挑む状態と、レース結果・振り返りをまとめています。少しでもご参考になれば幸いです。 レースに向けて 練習状況 量(=月間走行距離)・質(=ポイント練習の設定)共に、過去最高の練習を積むことができていました。 まず、量について、12月~2月の3か月間で毎月400km以上走ることができていました。これは、過去最高の走行距離でした。 そして、質について、2023年10月の水戸黄門漫遊マラソン・11月のつくばマラソンの前よりも高い設定のポイント練習を実施できていました。具体的には、3:40/kmで6000~8000mの閾値走を一人でクリアできるようになっていたことに加え、2週間前には、3:40/kmと4:00/kmで2kmごとに走る変化走を5セット(計20km)クリアできていました。ロング走も、頻度は1回だけでしたが、3:54/kmをレースペース(RP)とした時の90%RP(4:17/km)で単独30km走を余裕をもってクリアしていました。一方で、不安材料として、変化走以降のレース2週間内の練習で、設定を守ることができていない状態でした。閾値走も3:43/kmで6000mでこなすのが精一杯だったり、1週間前も3:54/kmの12kmが余裕度低く、不安しかありませんでした。(反省点その1) 練習状況の詳細は、下記ページにまとめておりますのでご覧ください。 https://run-today.com/tokyo-2024-preparation/ 体の状態 体調は睡眠時間も確保でき、発熱等もなく良好でした。また、2月は左のハム裏と右膝のお皿の前・内側に違和感を持っていましたが、当日までのテーパリングと入念なケアで、スタート時は違和感なく、良い感じでした。一方で、体重は、11月のつくばマラソンの時よりも、1.1kg増加していました。1月以降、走行距離は増えていたものの、なかなか体重が65kg台に落とすことができませんでした。(反省点その2) 当日のスケジュール 知人と7時半にJR新宿駅の西改札に集合し、7時45分ごろに東京都庁前のGate1に到着。入場Gateを通過すると戻ってこれないということで、応援してくれる知人との別れが惜しく、着替えや荷物整理などで8時10分ころまでGate前で過ごしました。このとき、ペットボトルが持ち込めないということで、新品を捨てるのがもったいなすぎて、急いでその場でできるだけ処理しました。 Gate通過時は、手荷物検査がありましたが、特に混雑することなくスムーズに通過できました。ただ、検査時、荷物預け用のビニール袋から手荷物を自分で取り出す必要があったのが盲点でした。既にビニール袋に手荷物をしまっていたため、検査後に再度ビニール袋に手荷物を入れるという2度手間が発生しました。なので、荷物整理はGate通過後をおすすめします。その後、指定されたトラックに手荷物を預け、スタート地点のBブロックに移動。8時20分頃でしたので、手荷物預けはスムーズでした。 トイレは家で大2回、途中の赤羽駅で小1回済ませたのですが、寒さのため、スタート地点横のBブロック専用トイレに並びました。20分ほど並び、無事小を済ますことができました。トイレに並んでいた際、一部の外国人ランナーが割り込んだり、列を無視したりしていて、スタート前から少々気分が悪くなりました。私が使用したトイレに、すかさず列を無視して入ろうとする方がいたので、さすがに無視できず、拙い英語(wait in the line, everyone is wating here)で注意してしまいました。(逆切れされて怖かったです笑) 以下、当日のざっくりとしたスケジュールです。 服装 レース結果 総評 NET 2:49:40(ave.4:01)で、本当にぎりぎりで梅目標のsub2:50は達成したものの、松目標のsub2:45は遠く及ばない結果でした。 レース展開は、最初の6kmを警戒しすぎて抑えすぎてしまい、そのままペースを上げることができず、ズルズルと4:00/km前後の巡航。何とかペースアップを試みるものの、20km過ぎくらいで2月に抱えた右膝の違和感が生まれ始め、4:05/km前後で耐える防戦一方の展開。30km以降も耐えに耐え、ラスト2.195kmだけsub2:45ペースで走り、なんとかsub2:50を掴み取りました。 練習状況から、ダニエルズのVDOTがsub2:45に相当するレベル(≒VDOT60)まで到達していたという自己評価だったたため、挑戦する気持ちしかなかったのですが、設定していた3:53/kmで全く走ることができず、自分にガッカリしています。シンプルに、自己評価が甘く、sub2:45レベルに達していなかったということですので、気持ちを入れ替えて、来シーズンに向けて励んでいきたいと思います。備忘として来シーズンに向けた個人的な反省点を2点以下に記します。また、比較するのも烏滸がましいですが、パリ五輪の出場権獲得の為に設定タイム(2:05:50)に挑んていた国内男子選手や、日本新記録に挑んでいた新谷選手、圧倒的な実力者で元世界記録保持者のキプチョゲ選手等、この日の為に必死で練習を積み、入念な調整をしてきたはずのマラソンのプロ選手でも思うような結果を出すことができておらず、改めてマラソンは難しい競技だと思いました。同時に、素人の私なんかが簡単に思うような結果を出そうとしていること自体が烏滸がましいなと思いました。 目標と結果 振り返り Start~6km 8時50分過ぎの整列で、Bブロックのほぼ最後尾スタート。ロスタイムは34秒。スタート直後は混雑していましたが、Cブロックよりは圧倒的に人数が少なく、Bブロックのありがたさを強く感じました。なお、スタート地点で、Bブロックの先頭に並ぶには、1時間以上前から並ぶ必要がありそうでした。一方で、先頭に行くほど、日影となっていたため、寒い場所で長時間待つ必要がでてきます。トイレも我慢する必要があるので、スタート前から相当体力が消耗されそうな印象を持ちました。グロスタイムを気にされない方は、後方スタートがよろしいかと思います。 スタート直後は、試走時の想定通りで、道幅の狭さからなかなかスムーズに走ることが難しかったです。ですが、コースの右サイドは少しスペースがあったため、2回の左折以降は割とスムーズに走ることができました。といっても、最初の1kmは、体感3:53/kmで走っていたのですが、手元のGarminは1kmの標識の30mくらい手前で3:53の自動ラップを刻み、1km通過の実測値は4:02/kmで、ちょっとイマイチなコンディションかもと思っていました。 混雑解消以降は、下り区間だったのですが、なかなかペースを上げることができず、結局5km通過が19:57と、予定より30秒ほどのビハインドスタートとなりました。事前の作戦では、最初の下り区間に突っ込みすぎるのを警戒していましたが、実際は突っ込むことすらできていない状況でした。そのため、少々焦りを感じ、現実的に残り40kmを走り切れそうな速度まで少し力をいれて上げてみたものの、目標ペースには程遠く、3:57/kmくらいまでしか上げることができませんでした。3:57/kmでも正直このまま維持するのは厳しそうな感覚で、「きついな~」と思っていました。 6km~15km スタート時には見えていなかったsub2:50のペーサー集団が前方150mほどまで近づいており、若干ペースアップできているなと思っていたのですが、10kmまでの5kmラップは19:49とほぼsub2:50ペースのままで、「今日はsub2:45の日じゃないかも」と思い始めました。 10km過ぎで、最初のジェル(アミノ酸)を摂取し、11km付近の上野での折り返しで、sub2:50の集団とすれ違い、改めて距離を見積もり、3:53/kmで行けば少なくともハーフ前には追い付けるかなと並走しているR君と声を掛け合いました。ですが、それは机上の空論でした。実際は11km以降もなかなか距離が詰まらず、最初の橋となる茅場橋でややラップを落とし、結局15kmまでの5kmラップは19:55でした。 ここまで、周りに人はいるものの、なかなか集団がなく、基本的に二人で並走しながらレースを進めていました。秋葉原~上野の区間はそこそこ向かい風もあり、欲を言えば、集団走がしたかったです。sub2:45を狙うのであれば、少々無理してでも、sub2:50の集団に早い段階で追いついておく(さらに欲を言えば抜かしておく)べきだったと思います。(反省点その3) 15km~Half 水天宮を通過し、浅草に向かう沿道の16km付近で、会社の先輩に応援を頂き、気力を回復させ、19km付近の浅草寺の前で2つ目のジェル(メダリストのグレープ)を摂取。sub2:50の集団との距離もあまり変わらず、焦る気持ちが募りました。「このペースもきつい。。」と少し消極的な気持ちが芽生え始めてきたところで、蔵前橋に突入し、ハーフを約1時間24分で通過。「sub2:45のためには残りを1時間21分。となると平均3:50/kmで行く必要があるな」と、いつもは働かない頭が、こういう時は素速く働いて、sub2:45は頭から消え始めていました。それと同時に蔵前橋を下りながら、2月から気になっていた右膝に違和感を持ち始めました。 Half~30km 清澄白河に向かう、清澄通りは想定通り片道5個のアップダウンがありました。この時点で余力を残し、ペースアップするくらいの走りをしたかったのですが、正直かなりきつく、折り返し後の24km付近で、並走しているR君に、「ペース維持で精いっぱいだから、あげれそうならペースアップしちゃってね」と伝えたところ、「大丈夫。ついてきて」と、漢気ある言葉をもらい、感謝で心の中で泣きました。と同時に、sub2:40のポテンシャルを持っているR君に、気を遣わせてしまっていること、お荷物になってしまっていることに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 復路の5個の坂は想定どおりでしたので、坂を超えるたびに一つずつカウントしながら、消化していきました。と同時に脚も削られていきました。最後の坂となる28km付近の蔵前橋は余裕のない体には堪えましたが、水戸黄門漫遊マラソンの最後の坂と比べればそこまでではありませんでした。振り返ってみると、余裕度がある状態であれば、この区間の坂はそこまで気にしなくてもよいかもと思います。 この区間は、膝の違和感も伴い、ペースダウンしないように何とか耐えて、25km、30kmまでの5kmラップはそれぞれ20:07、20:04で通過できました。一方で、自己ベスト更新も怪しくなってきていたため、そこまでいかなくてもsub2:50は死守したいと思い始めていました。 30km~40km 日本橋に戻ってきて、銀座を通過。ビルの日影が寒く、向かい風も強く感じる区間でした。4:00/kmをオーバーするようになり、かなりきつかったです。ただ、日比谷で応援してくれている友人(O君)に走っている姿を見せたい気持ちでいっぱいでした。正直、「元気が残っているもっと早い段階で応援してくれたほうが良かったなあ」と思いながら走っていましたが、振り返ってみると、30km過ぎの限界が近づいている段階にいてくれてありがたかったです。頑張って走り続けるモチベーションになりました。 日比谷を通過し、O君を発見し、エールをもらい少しだけ元気回復。でも、ペースは4:10/km弱で耐えるのが精いっぱい。田町への往路が向かい風だったので、「復路は追い風だー!!」と淡い期待を抱えながら走っていたのですが、田町で折り返した後も向かい風で、「なんでやねん」と声を出してしまいました笑。あと、地味に40㎞くらいまで登っているような気がしました。 ~Goal 35km以降は、距離表示を通過するごとに、4:00/kmでいけば大丈夫ということを確認しながら走っていたのですが、だいぶ貯金を食いつぶしてきたので、40km通過時点でぎりぎりの状態でした。そのため、ここが頑張りどころと気持ちを入れなおして、最後の2.195kmは8:34と、ここだけsub2:45のペースで走れ、首の皮一枚のぎりぎり2:49:40でゴールできました。 先にゴールしたR君も初の公認sub2:50を達成し、ゴール付近で待っていてくれたので、ゴール直後に勢い余って汗だくの中、熱い抱擁を交わしてしまいました。R君、本当にありがとう。初めての東京マラソンは、終始辛い展開であまり風景などの記憶がありませんが、R君と一緒に走れてよい思い出になりました。また、当選できればリベンジしたいと思います。 終わりに ゴール後、預けた手荷物を回収しに行くのですが、回収場所と更衣室がゴール地点から結構離れており(10分以上歩いたような気がします)、その分も体力を残しておく必要があるなと思いました。また、応援してくれている方とゴール後に合流するのも、時間に余裕をもっておくとよいと思います。ゴール地点、荷物回収場所・更衣室の周辺は、交通規制がされており、地上をスムーズに移動できないため、地下を通って移動する必要があります。あらかじめ、荷物回収場所や集合場所などを決めておくとスムーズかなと思いました。